「子供より親が大事」って…6月19日は桜桃忌です

皆様こんにちは。河野商店です!

先輩の連載、第12弾です。ぜひお楽しみください!

1948年(昭23)6月13日、太宰治はその愛人・山崎富栄と共に玉川上水へ入水心中し、38歳という若さでその生涯を閉じた

遺体の発見された6月19日は太宰の誕生日であった。その死を悼み、偲んで「桜桃忌」と人は呼ぶ。
桜桃とはバラ科の低木・ユスラウメを指し、その果実はサクランボ。

彼の、死の直前に書かれた作品に「桜桃」がある。文学雑誌に僅か10ページほどの短編である。
主人公は3人の子を持つ小説家、ある時些細なことで妻とけんかとなる。家を飛びだし、愛人のいる酒場へと向かう。店で出されたサクランボを食べながら、彼は残してきた子供たち、家庭のありようを思う。

以下、引用してみよう。
私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。
父が持って帰ったら、よろこぶだろう。(中略)しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

作品最期の、「子供よりも親が大事」を理解するにはこの短編を読んでいただくしかない。ぜひご一読を。

墓は、東京都三鷹市の禅林寺にある。向かい合うように森林太郎(森鷗外)が眠る。
「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。
けれども、ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した」(太宰治「花吹雪」)

先輩、ありがとうございました!

サクランボの季節がやってまいりましたね!太宰の短編でも読みながら食べたら、更においしさも増すような…。

それでは、次回作、ご期待ください!