うちの果物籠には、現金入りの封筒は入っていませんが…

皆様こんにちは。河野商店です!

先輩の連載、第7弾です。ぜひお楽しみください!

「駅弁大学」「男の顔は履歴書」「恐妻」「太陽族」などの造語を生み、戦後日本の世相を小気味良く切り取ってみせたジャーナリスト、評論家と言えば大宅壮一であろう。

今時の若い人には馴染みのない人物かもしれないが、昭和28年生まれの私には、この商売(まぁ新聞社勤務といった程度のものだが)に入るきっかけとなった。

コンニャクが大好物?で、死因もそれの食べ過ぎというからやはりユニークではある。
そもそもは旺盛な食欲が引き金で、大食漢であったから医者からは常にカロリー摂取過多を指摘されていたそうな。それでも腹一杯食べたい、そこでコンニャクを代用したものの栄養失調で亡くなっている(本当だろうか)

それはともかく、とにかく面倒見の良い人であったという。
人脈には定評があったからそれを維持するためにもその気配りは尋常ではなかった。

大宅壮一の門下生で、すぐに名前が浮かぶのは草柳大蔵(これまた若い人には不詳だろう)。
その草柳は毎月、千疋屋の果物籠(かご)を十数個注文するよう、大宅壮一から指示を受けた。
もちろん進物用だが、その籠の底には現金入りの封筒をしのばせる。

もちろん賄賂などではない。
かつて世話になった人、生活に困窮した知人などをそれとなく援助した。

露骨に現金を手渡すのではない。
果物籠にかこつけてそれとなく援助をする。

人々は、いかにも大宅壮一らしいと口の端にのせた。

先輩、ありがとうございました!

皆さんも、たまには知人に果物籠でも贈ってみてはいかがでしょうか…もちろん封筒は付けなくて良いと思いますが。

それでは、次回作、ご期待ください!