正岡子規は柿が大好き

皆様こんにちは。河野商店です!

前回と同様、いつも通りフルーツにまつわるお話を書いていきたいと思いますが、
今回は、昔、勤めていた会社の先輩に書いていただいたお話です。ぜひお楽しみください!

正岡子規は大のフルーツ好きだった(というか食全般にどん欲であった)。

とりわけ「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の名句にあるよう、柿は別格であったようだ。

カリエスに冒され、余命もおぼつかぬ1901年(明34)から書き始めた「仰臥漫録」の食卓には多彩なフルーツが登場する。

例えば9月2日から同月29日までの記述には、梨、ブドウ、パイナップル(缶詰)。連日、もしくは1日おきのペースで食べている。

他月でも「一日四個(梨、林檎など)位」としながら、多いときは6~8個をむさぼった。さすがに医者が注意すると「菓物くわぬ程ならば生きて居る甲斐はあらじ」と言い返した。

 食が途切れたとき、それは死を意味する。その切迫感は、子規ならではの死生観にもたどり着く。

「禅の悟りとは、どんな場合でも平気で死ぬことだと思っていたが、それは間違いで、どんな場合でも平気で生きていることだとわかった」

食べて食べて食べまくり、そして1902年(明35)9月19日、35年にも満たない人生を終えている。

以上です。

正岡子規が柿を大好きだったなんて知りませんでした。野球好きということは知っていましたが…。

それでは、引き続き、フルーツにまつわる面白いお話や皆様の役に立つようなお話を掲載していきたいと思いますので、
次回もぜひお越しください。